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2017年6月5日月曜日

ローマ、シフト橋(テベレ川)の気になる人

5月7日日曜日 ローマ
 毎週土日テベレ川に掛かるシスト橋は
平日でもアフリカ系人の工芸品、パキスタン人の
自撮棒、帽子、スマフォケース等々物売りが多い。
それに土日はストリートミユージシャンが加わる。
其の中にアジア系の男性がアコーデオンの演奏をしています。
私も立ち止まって聴いてはいないけど、通り過ぎる人が大半で
たまに観光客らしい人がカメラを向けている光景を目にしました。
それでも 彼の演奏を聴くわけではなく、カメラのシャッターを押すと
立ち去った。お金を入れる器は置いてあるものの、
いつもコインが4~5個入っていただけで・・・
年齢は35歳前後か・・・。
アジア系には違いないけど、この人日差しの強い日はメキシコのソンブレロ
を被っている。 中年米の人にも見える。南米のペール辺りまでモンゴロイド族
の帯は続くので 日本人と見分けは付かない人とも遭遇する。
一体何処の人だろうと、見かける度に思っていると
演奏曲に「瀬戸の花嫁」があったのでやっぱり日本人では、と同行人が言う。
(フアンブログより転載しました)
聴き慣れたな軽音楽が多かったような気がするけどバッハも演奏していました。
彼にカメラを向けることはしなかったので
帰国してから写っている写真を探すと1枚見つかる。
 ソンブレロを被っている人が写っていました。(この日は日曜日)

「4月から5月15日までシスト橋から徒歩5分の場所に
アパート借りてローマに滞在していました。
結局立ち止まって演奏を聴くこともせず、声も掛けず、お金も入れず、
前を通るだけで終わってしまいました。
ずっと気がかりで、やっぱり日本の方だったのですね。
私は美術の分野ですが、同じ芸事で生きてきました。
貴殿の生き方に共感したわけではありませんが、
(もっと効率のいい活動があるのでは、と思うあまり・・・)
たぶん 貴殿のご両親とそう違わない世代かと・・。
この青年は何を目指しているのだろう・・・
彼にとって、ローマでの今は、人生の中でどういう位置づけなんだろう・・・
何故ローマの橋の上なんだろうか・・・
などと聞いてみたいと思っていました。・・」

「メッセージ、ありがとうございます。
ファンページの編集人です。
吉備英史さんは、ローマ在住25年、大阪出身のアコーディオン奏者です。平日はローマのアニメーションの会社に勤務され、土、日、祝日にはポンテシストで演奏をされています。
本来、吉備さん自身からお返事されるのが、よろしいのですが、彼のPC環境のためか、
ファンページへのこのメッセージを、吉備さんは見ることができません。
申し訳ありませんが、代わりに返信させていただいております。
 ファンページをさかのぼってご覧頂ければ、吉備さんの、橋の上を選ばれた意味や、路上演奏にかける思いも、垣間見ることができるかと存じます。
 ウイキペディアにも、吉備さんの項目がございます。・・
吉備さんは、お若く見えますが、53歳になられますので、そのことも申し添えておきます。この夏は、来日されてアコーディオン演奏会も計画中です。
吉備さんは、イタリア国籍を取得されていますが、日本人の誇りを失わず活動されていると、私は感じております。
また、気軽にファンページや、吉備さんのアカウントを見ていただければ、と、願っております。
hideshi kibi Fan  」

「そうでしたか、・・。
さっそくの返事ありがとうございました。
私事ですが美術の世界といっても
きれいごとではままならなく、展覧会や学閥による
権威主義がまかり通り、それを拒否すれば干される
ような現実が日本にあります。
そのような理由から 私は30前にアメリカへ出ました。
今は60代ですが、今でも自分の居場所を探すように
海外を歩いています。
美術を捨てた時期もありました。
何故ストリートミユージシャンをされているかまでは
目を通していませんが、・・・年齢を知って驚きました。
型に嵌まらない生き方でしょうから 老けないのでしょうか・・。
表情と軽快な身の動きで、屈託が無いように見えました。
お金が目的でもなさそうで、この人、一体何を伝えようと、
しているのだろうとか、このエネルギーは何処から来るのか、関心を持ちました。
 何回か目が合ったのですが・・。
彼の前を行き交う大半の人が無視して通りすぎるだけです。

あそこまでなると、もう日本人だからということは関係なさそうで
コスモポリタンでしょう・・
「日本人ですか」とは声を掛けにくいものです。
先日帰国して、ふと思い出し、「シスト橋」「アコーデオン」で検索しました。
人に音楽の楽しさを伝えようとされること以上に
、求道者の様にも思えました。
彼はグリム童話に出てくる「ハーメルンの笛吹き」を思い起こさせました。
またどこかでお見かけしたら声を掛けます。
2017年6月2日 6
古川博久」

「お話を伺いますと、道こそ違え、吉備さんも、アコーディオン界で
、同様の思いをなさった経験がおありのようです。
お話をなさると面白いかもしれませんね。
ハーメルンの笛吹、5月10日投稿の Blue Peter という曲などを聴くと
、思い起こされる気がいたします。hideshi kibi Fan 」
https://www.facebook.com/kibihideshi/
http://www.hideshikibi.com/indexUK.html
・・住む国を自由に選択できるなら日本には住みたくない、
 とアメリカやオーストラリアへ移住した私の友人が何人かいます。
・・・結局私はそれが出来なく引きずっている。
 土日のシスト橋  世界中からの観光客で賑わう。

                 朝7時のシスト橋

2017年5月18日木曜日

フィレンチェはイノシシと牛

フィレンチェ中央市場 肉専門店

 Tbボーンステーキ 1kg
 塩と胡椒、ニンニクだけ
片面5分、5分,合計10分焼く

 








2017年5月17日水曜日

フィレンチェの野菜、果物・・サツマイモ


フィレンチェの中央市場
ニガウリ
 
          オクラ
パプリカは大きい



             
                  なす

               アスパラとインゲン豆
               アスパラ、レタス
                   トマト
              ジャガイモ
                長ネギ・トマト
                特大マッシュルーム







中国人と思われる人の店
             大根も・・・、中華食材が揃っている
ニンジン、ズッキーニ、キュウリ
            カリフラワー、キャベツ、セロリー・・
               サツマイモ

               ネギ
              パパイヤ
             サツマイモ(スイートポテト)
              ショウガとニンニク
             空豆
             里芋
             長いも

    インゲン
 
              メロン

             レモン
             リンゴ、キウイ、オレンジ
                オレンジ、ザクロ
               イチゴ、サクランボ、洋ナシ

ここイタリアは中華料理店が少ない。
2軒見かけた。アメリカではどこの街に行っても必ずと言っていいくらい
中華料理店はある。辺鄙な街にたどり着いても中華料理店があり
同じ東洋人の好で入ってほっとした思い出が・・。
旅行中の不安な中、にこやかに迎え入れてもらえうれしかったことを思い出す。
「同じアジア、友達」と持て成された。  ノバスコシアのハリファックスという田舎街でのこと。  私がそんなところへ行った理由は大学に陶芸学部があったから。
日本人がやってきたと、歓待された。商社駐在員とハリファックス大学の工学部に留学してきていた人、なぜこんな大学に、と質問すると「空気が澄んでいて光学の研究に適している場所です、ここに最先端が。将来のため光通信を研究しています。」と答えが。
・・・やっぱりそう時代になりました。
・・・・1970年代、北米ではどんな街に行っても、中華料理店と日本人商社の駐在員に出会えた。日本人がエコノミックアニマルと言われた時代・・。
カナダの北の外れの街では・・ 日本人(商社)が毛皮を買い集めるので、値段が上がり
寒いカナダでは必要だった毛皮が着れなくなった、とこぼされた。思い出せば、そのころ南の鹿児島でもデパートに毛皮が売っていた。・・しかもバーゲンで。
バンクーバーでは日本商社が 漁船にヘリコプターで乗りつけ 港に上がる前の魚を
青田買いするので魚が市場まで届かない、と新聞に書かれていた。1980年。
日本もそんなことをやっていた。鹿児島で毛皮が必要だったとは到底思えなかった。
・・・それが悪いことと思うならばyouには1億分の1の責任がある、それをどう思うか
話しなさい!と詰め寄られたことを思い出す。
今日も、ここフィレンチェの街中、中国人団体客が押しかけている。
商店街も美術館も・・・
日本人と思われる人を5,6人見かけた。
土産物店の前を通ると、ニーハオ、と声を掛けられる。
それでもここの市場では見かけない。
美術館の有名な作品の前、街中の観光スポット、には中国人観光客団体がいて
スマフォと自撮り棒で写真撮っている。
私が1980年ロスアンゼルスにいたころ
日本人がそうでした。 団体で押しかけ、物を買いあさる光景が見られた。
エコノミックアニマルと言われた時代・・
ロスの日系新聞に実際あった記事、・・・
ハワイの戦没者墓地では日本人観光客の出入り禁止になった・・・
理由は、日本人団体客は戦没者墓地で立ち小便するので顰蹙(ひんしゅく)をかっている。
「旅の恥はかき捨て」を行使していたのだろうか・・・
それとも、前夜酒盛りで飲みすぎ・・トイレが近くなって仕方がなかったのか・・・
胸に手を当ててみて・・・これが40年の日本人の実態。
ロスアンゼルスの靴屋で、「この店で一番値段の高い靴をください」と言ったのは
日本の地方から視察旅行に来ていた県会議員団の客人でした。(実際居合わせた)
東洋人(黄色人、カラードピープル)と下に見ている白人店員は、その客人の肩の埃を払う。仕草を見せた。千ドルと聞いて、安い!と・・・その光景は今でも消えない。
「他山の石」「人の振りみて我が振り直せ」・・・の格言を日本に教えたのは中国。

2年前のパリでは50m間隔で日本レストランがあった。寿司、ラーメン、串焼き等々。
ローマでもフィレンチェでも あまり見かけない。中華料理店も・・・

市内は日本製のハイブリッド車が目立つ。
ドイツ、欧州車は大半がデーゼル車、ベンツもBMW、もアウディも対抗している感じ。
電気自動車も少なくない。
運転手付きの黒塗りのベンツでもデーゼル特有のガラガラ音を立てて走っている。
ガソリンエンジン車を余り見ない。

世界中から集まる観光客が首から下げ、手にしているのは
すべてと言っていいほど日本製のカメラ。ニコン、キャノン、ソニー、パナソニック、
カシオ・・・たまにドイツのライカをみるぐらい。

1980年代中国は文化大革命のころ、毛沢東、紅衛兵、毛語録・・・
海外旅行する中国人って皆無だった時代。
故郷を捨てて移民となった人々は中国人に限らず
それぞれの価値観、人生観を持っていたように思えます。
故郷を捨てたり追われたりした人がアメリカやカナダ、その他の外国の
移民となっている。それなりの理由と、意志を持っていたように・・